ドヤ街に泊まってしまった話

 横浜市営地下鉄伊勢佐木長者町駅を降りて少し歩いた所に福祉会館がある。街灯がまばらな中唐突に現れたその建物は、周囲の古ぼけた建物と比べて不釣り合いなまでに新しく大きい。そのまま進み、突き当たりを左に曲がった所に本日の宿があると、Googleマップが示す。

 道中は簡易宿泊所に囲まれ、独特の臭気というべきかつんと饐えた、人間の臭さのようなものが漂う。通りに置かれた椅子に座り、何やら喋っている様子の高齢者たち。中にはゴミ箱を漁っていた人もいた。道路には回収されていないゴミが散乱している。痰を地面に吐きつける音が夜の街に何度も響き渡る。

 それでも中学時代に好奇心で訪れた昼間の景色よりも幾分かマシにおもえた。あの頃は黒塗りの車がクラクションを鳴らしながら狭い道路を巡回するかのように疾走していた。昼間にもかかわらず地面に横たわる飲んだくれ。私はヤクザが見たくて昔この街を彷徨ったのだった。今思えばそれはここに住む人々に対して、あまりにも失礼で不躾極まりない行為だった。

本日の宿のネットの評価は良く、モダンな受付の写真だった。会社の福利厚生サービスを利用できるくらいにはちゃんとした宿のはず。間違いなくホームページは綺麗だった。

 だが、夜のドヤ街の雰囲気に呑まれ一抹の不安がよぎる。私たちはこれから女子会をするのだ。大丈夫なのか?カイジの鑑賞会をするわけじゃないんだぞ。そう思いながら足を進める。

 ふと、空を見上げると、赤くライトアップされた十字架が燦燦と輝き、街を照らしていた。その光景を見た筆者の脳裏に聖体拝領という言葉が過った。カトリックのミサでワインをイエスの血に見立てて飲むことがある。この行為を聖体拝領という。
 私には、その、チカチカと輝く十字架の赤色がワインの赤が象徴する、キリストの血に思えた。12月にしては生ぬるい風。私たちは俯きながら歩いていた…

 とまあこんな風にルポっぽくつらつらつらつらつら書きましたが、たどり着いた部屋は多分3畳もなく、布団を綺麗に敷けない程狭く壁に足が触れる程でした。当然リノベーションなんてされておらず、傷だらけの畳にふかふかさのかけらもないぺちゃんこな煎餅布団。部屋全体からなんだか饐えた匂いがする。ドヤ街の簡易宿泊所そのものだった。
基本的にドヤ街というのは女性が泊まれる場所ではありません。女性宿泊禁止の簡易宿泊所が殆どです。そのためまさか泊まってみたいという望みがネットでなんとなく予約した宿で叶うとは思いませんでした。が、あまりにも狭い部屋で女2人。空気が悪く酸素が薄い。窓も嵌め込みの磨りガラスで新鮮な空気を入れられない。映らないテレビにゲラゲラ笑いながら荷物を下ろす。

とりあえず布団を敷くが、微妙に床をはみ出る。試しに横たわると足が壁にぶつかる。157cmの私が足を伸ばして横になれないってヤバくないか?この世の成人私より大体デカいんだぞ。そう思いながら荷物を脇に寄せた。
「雑魚寝だね」
私は恐る恐る同行者に話を振ってみる。彼女は私のようにキワモノを好んでいない、いやその言い方は良くない。おそらく好奇心でドヤ街に行くような女性ではなく、パセラのホテルで女子会が似合う方だ。
「雑魚寝以下だよ」
彼女は手を叩きながら笑っていた。その反応に私は少しばかりホッとする。埃臭いエアコンの効いた室内は蒸し風呂のように暑かった。

 私たちはその滅茶苦茶狭い部屋で身を寄せ合いながらスマホで映画を眺めていました。

(最初は結構真面目な話をしたかったのですが途中で面倒臭くなっちゃって辞めたのでオチもない。オチ見失っちゃった…)

雑記

受け取り手のいないキャッチボールがしたいじゃん?

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