薬物乱用
私が睡眠薬と酒を一緒に飲み込んで、目覚める寸前に見るサイケな景色にハマったのは大学4年の11月の頃だった。その頃私は精神科医に、ちゃんとした鬱病の薬を飲むよう強く勧められていたのをかわしつつ、適当な話をでっちあげ、お目当ての睡眠薬を週に一度受け取っていた。ゾルピデム、マイスリーと言ったほうが分かる人には分かるだろう、を私は常飲していた。薬を飲んだからといって眠れるわけではなく、寝起きが悪くなって、3時間睡眠が4時間睡眠になっただけだったが、無いよりマシと言う理由で精神科に通っていた。ある日、精神科帰りに寄ったコンビニのタバココーナーのゴールデンバットが目についた。ゴールデンバットとは太宰治や中原中也が愛飲したことでおなじみの銘柄だ。
睡眠薬を飲み、精神薬を勧められている私は、限りなく文学的なナニカに近づいているのだ!と、そんな下らない思いつきでゴールデンバットを買おうと思った。現代に太宰治がいたら普通にキャメルとか美味しいタバコ吸ってそうだよなと思いつつも、大正昭和の文豪が吸っていた貧しい味の番号を、コンビニの、多分中国人と思しき店員に伝えた。頼んだあとにはっと気がついたのだが、太宰治や坂口安吾、そして私が崇める寺山修司もショートピースを吸っていた。なんかのネット記事で読んだ。
そして、普通のピースはこの世で最も美味なタバコのひとつだからついでに試してみるのもいいかもしれない。なぜなら六本木で親友とゴールデンバットを吸った時あまりに不味かったため、ゴールデンバットだけだと口の中が最悪になる可能性が高かったからだ。しかし、すでに店員が私の目の前にゴールデンバットを差し出していたので、今更だなと思い直しSuicaでタバコとライターの代金を支払ったのだった。身分証の確認は求められなかった。
コンビニ前の喫煙スペースで、正直雑草を食べたほうがまだ美味しいと言える味のタバコを吸う。フィルターがないから下に苦味が広がるのも構わずにとにかく深く深く吸う。ニコチンやタールのずしっと来る重さは好みであるが喉に来る刺々しい煙や口いっぱいに広がるタバコの草の味が直に染み、うえっとなったものの平然を装いながら吸う。まだ幼かった私にタバコを教えた友人は、そういう三級品のタバコはゆっくり吸うと普通のタバコっぽく吸えると豪語していた。しかしちびちび吸うのはどうももったいなく感じる。一箱300円程度だというのに。せっかく吸うんだったらニコチンもタールもなるべく血液に循環させたいという貧乏学生の悲しき性で一心不乱に吸う。一本目はまずいなと思っているうちに終わった。二本めに火を点ける。やっぱりまずい。
そして、当時読んでいたバタイユの『呪われた部分』だったかでレヴィストロースを引用した部分、"祝祭にて消費されるためだけに存在するシャンパン"のことを考える。実用的で美味しい酒はこの世にごまんと存在する。お祝い事で特別感を出すためだけに存在する酒、日本だとお神酒だろうか。否お神酒には宗教的な存在意義がある。アレだ、政治家とかトンネル開通的なイベントで、ハンマーで割られてる酒。アレの名前はなんて言うのだろうか。
多分、世界中に特別な酒は存在するが、特別なタバコは存在しない。この激安のタバコだってそうだ。手っ取り早くニコチンとタールを摂取するために存在している。逆に葉巻は高級ではあるが、別に祝い事のために存在していない。ただの嗜好品。シャンパン以外に何かを祝うためだけにに消費されるためだけの存在って他にあるだろうか。
そのことを思うと、私は即座にあるモノが脳裏によぎった。しかし、あまりにもグロテスクだ。しかし。シャンパンよりもそう例えられたほうがしっくり来るように感じられた。
そして、バタイユもレヴィストロースも男だから私の思いつきに対してピンとは来ないだろうなとも。偉大なる男たちの世界に乾杯。セクハラ教授の顔が脳裏に浮かび、脳の剰余スペースすべて覆い尽くす。ムカムカしながら短いタバコを灰皿に押し付ける。普通のタバコを吸ったときよりもなんだか自分が臭い気がする。
ゴメン太宰治、やっぱ何度吸ってもフィルターが無いから不味いや。
死ぬほどまずいタバコでクチが汚れたなと思い、コンビニに戻り飲み物コーナーを物色する。その瞬間ひらめいたのである。私の現状は坂口安吾の麻薬・自殺・宗教とういエッセイの序盤に合致するなと。あの、覚醒剤は飲むけどメンタルの薬は飲まねえ自慢。つまり、自分の精神的異常を認められず、睡眠薬で日々を誤魔化している私にそっくりだなと。そのエッセイの序盤の内容は要約するとこうだ、坂口安吾は織田作之助と異なり、覚醒剤のチャンポンをコントロールしながら行えていると主張する。そして、ここがいちばん重要なのだが、坂口安吾は医者からのお墨付きを得ながら、覚醒剤とウィスキーを同時にキめていた。そうすることによって、いい具合に薬が抜けるそうだ。その本によると覚せい剤と睡眠薬だったら覚せい剤のほうがまだマシとのこと。じゃあ睡眠薬飲んでる私ってだいぶおしまいだなと思うと笑えてくる。衝動的にアルコールコーナーの前に立ち、冷蔵庫の扉を開ける。飲んだ睡眠薬を抜くには、酒だ。
そうして、私は何を思ったのかこの世で最も嫌いな酒の一つであるジンロのボトルを手に取った。
何故ジンロが嫌いかというと父が好きな酒だからだ。
最寄り駅から自宅までの道のりはまるで禁酒法時代に酒を輸送する末端ギャングの気持ちだった。私は禁酒法時代を題材にした作品が大好きなため、ついついそんなことを考えてしまう。それほど最寄り駅から自宅までの道のりが長い。2リットルの酒を抱えているとなおさらだ。親になんて言い訳しようか。私が酒を好まないことは母はよく知っている。彼女が玄関に迎えに来ないことを祈りながらとぼとぼ歩く。上手く行けば一切会わずに私の部屋までジンロを運搬できる。しくったら、適当な言い訳が必要になる。それはとても面倒だ。そんなことを考えながら曲がり角を曲がると、散歩中のコーギーが私の姿を確認し垂直にポーンと飛んだ。
よりによってこんな日に。ちくわ君が。私は思わずうつむいた。これから私は帰宅して薬物乱用をしようとしている。別に違法薬物ではないから逮捕はされない。けれど、明らかに悪いことだ。保健体育の教科書に書いてある駄目なことを私はやろうとしているのに。どんどんちくわ君とその飼い主が近づく。ちくわ君はものすごい勢いで迫るため飼い主さんは押され気味だ。私はその場に縫い付けられたかのごとく動けなかった。
ちくわ君は私の周りを飛び跳ねている。それを苦笑しながら眺める飼い主さん。こうなってしまうと仕方がない。彼を遠慮なく撫でさせていただく。そうするといつものようにコロンと転がりお腹を見せてここを撫でてと言わんばかりにハッハッとちくわ君は呼吸する。かわいい。が、罪の意識というものを痛切に自覚させられた。神に対してもそんなこと感じたこと無いのに。
飼い主とちくわ君と円満に別れたあと、帰宅したらおかえりと声だけで出迎えられたラッキーだと思った。ただいまと返し、2階にある自分の部屋に駆け込む。そしてジンロを本の山の中に隠す。何事もないように一階のリビングに向かい母に笑いかけた。母はいつもどおりの笑顔で今日の晩御飯が、私の好きなにんにくの芽の炒めものだと告げた。
夜中の2時になった。わたしはドキドキしながら酒をショットグラスに注ぐ。悩んだ末に三錠のゾルピデムを酒で流し込む。許容量の3倍。その時点でもう乱用なのに酒まで入れた。しかし、まだまだだ。ショットグラスだと酒が足りない。もう2杯ほど煽る。一気に流し込んだから胃がグルグルする。そして、念の為水をコップ一杯飲んで部屋を片付けてベッドに横たわる。そうするとすぐに浮遊感に襲われた。体温が上昇し景色がぐるぐる回る。酔っている。楽しい!
笑いが止まらなかった。そうこうしていくうちに意識が白んだ。
音楽が鳴り響いてる。当時良く聞いていたvaporwaveの打ち込みっぽい音とファンク。階段が歪んでいる。足を踏み外した。ぐにゃり。世界が輝いている。空が赤い。水に浮かべたマーブル模様が私の体に流れ込んでくる。ぼんやりする。クジラが泳いでいる。どんどん上昇する。ケーキが地面に叩きつけられた。デュシャンの大ガラスのような構造物が回っている。
どんどん上昇する。景色が白に覆われる。ハッとする。目が醒めたら私は痣だらけで地面に転がっていた。11月の朝だから少し寒い。頭も痛いし吐きそうだ。でも悪くはない。謎の高揚感が私を支配していた。意識がはっきりすればするほど頭が痛い。けれどこりゃいい。笑いが止まらなかった。
以降の私の人生には、酒と同時に薬を飲むという医者に助走をつけて殴られそうな選択肢がついてまわるようになったのだった。
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